会誌「こだわりの書」にて絶賛(?)連載中

ともみの真実
-自戒の念をこめて- 

            BY 大場打太


連載第1回

1、プロローグ
最初にお断りしておきます。この原稿は一応事実をもとに構成されてはいますが、一部に脚色をほどこしてあり、あまり内容を鵜呑みにしないようにして下さい。あくまでフィクションとして、お読みいただくようお願いいたします。
 ご存知の方もおられるかもしれませんが、五月六日・十三日号の週刊文春に、黒沢明とビートたけしの対談が掲載されていました。その中で黒沢監督がたいへん興味深いことを述べていました。
 黒沢 「・・・(略)・・・・。映画のどこが肝心かっていうと、つなぎ目なんだよね。
     カットとカットのつなぎ目、シーンとシーンのつなぎ目、その呼吸みたいな
     ところに本当の映画が宿るような気がするんだよね。」
 旅先の列車の中で、何気なくこの記事を読んでいた私は、思わずこの言葉に衝撃を受けました。そしてすぐに連想したのは、誰あろう望月さんの演出です。実写であろうがアニメーションであろうが、観客に訴えかける映像表現である以上、肝心なポイントはまったく同じであると思われます。今回このFC会誌において、図らずも山本くんが、望月監督の「カットつなぎの妙技」について述べています。詳細は山本氏の原稿を読んでいただくこととして、望月氏が、カットつなぎやシーンのつなぎ目に並々ならぬ創意・工夫をこらす演出家であることは、純然たる事実であり、氏の演出の特筆すべき特色の一つとなっています。 ただ、残念なのは、従来のアニメ誌での望月氏の取り上げられ方が、風変わりな奇抜な演出をする方とか、お風呂場演出家(?)だとか云々であり、一種色物的であったことです。最近になって、「海がきこえる」の監督となり、制作を始められた頃より、やっとその見方が正当な方向に改められてきているようです。しかし、アニメ評論家と称する方や、他の職種でありながらアニメに関して評論的なことを適当に述べている方の中には、望月氏及び氏の演出の「本質的な凄さ」 がまったくご理解できぬまま論評していると思われる方も、未だ若干名、見受けられるようです。生意気なようですが、望月氏の演出もしくはアニメの演出家の役割そのものに対するご理解が不十分な方には、氏の作品(特に「海がきこえる」や他の劇場版作品)に関して、あまり安易に断定的に論評していただきたくないというのが偽らざる心境です。望月さんの多数の作品を、一生懸命観てきた我々編集部スタッフの仲間内でも、みんなそれぞれに意見が分かれ、一刀両断に「これこれこうだ」と、なかなか明快に解釈・説明できないところにも、望月演出の難しさがあるのですから‥‥。いきなりなんだか愚痴っぽくなってしまったようですが、つまらない前置きはこれくらいにして、そろそろ本編に入ることとしましょう。

2、出会いは唐突に
 既にFC会誌の創刊号でもちらっと触れてはいますが、私と望月氏の出会いは(正確には望月智充という名前を知り、その存在を初めて意識したのは)、あるTVアニメのエンディング・クレジットでした。すなわち、昭和五十八年七月一日〜昭和五十九年六月二十九日に日本テレビ系列で放映された「魔法の天使クリィミーマミ」でした。望月氏の演出された作品群[私のMrドリーム・危険なおくりもの・バイバイミラクル・優のフラッシュダンス・マリアンの瞳・私のすてきなピアニスト・マミがいなくなる‥‥]を観るまでは、正直なところ、アニメーションの演出というものを意識して作品を鑑賞するということは、行っていませんでした。いや、アニメの演出家がどんな役割を担っているのかすら、充分理解していなかったと言っていいと思います。そんな未熟な私にも演出というものを意識させた望月氏は、まさに恐るべき存在でした。
 昭和五十八年十一月、九州大学アニメーション研究会に所属していた私が、研究会内に「クリィミーマミFC」を結成するに至ったのも、今にして思えば、望月氏の存在によるところが少なくなかったように思えます。もちろん伊藤和典氏・高田明美さんの存在が最も大きかったのではありますが‥‥。「マミFC」の活動の主体は会誌の発行でしたが、会誌を発行する度に、望月氏とはどんな方で、どのような絵コンテを切って、いかにしてこのような気になる演出をされているのか、どうしても知りたくなるようになってしまいました。それで、意を決して、亜細亜堂気付で会誌と共に手紙を望月氏宛に送付したのが、昭和五十九年五月頃のことでした。当時(今でもそうかもしれませんが)、非常識なアニメ・ファンの行動が問題化していた時期でもあり、また業界の方には変わりものが多いという偏見に満ちた噂も伝わって来ておりまして、実際に返事がいただけるものかどうか不安でした。が、ダメモトの気持ちで審判を待ちました。 待ちに待った返事の手紙は、五月下旬に当方の手元に届きました。便せん二枚にびっしりと文字が書いてあり、予想をはるかに上回る、親切丁寧なお返事でした。 あまりの感激にその日はほとんど眠れなかったように記憶しています。 それ以後、思いがけず、望月氏との親交が始まりました。あつかましくも、会誌に掲載する目的で、様々な質問に答えていただいたりもしました。そうこうするうちに、手紙のやりとりだけでは我慢できなくなり、お恥ずかしい話ですが、人間とは次第に欲が増すもので、今度は実際に会って、お話がしたくなってしまいました。今にして思えば、決起にはやった自分がいかにも「青い」気がします。がしかし、こんな一介の博多のアニメ・ファンが、望月氏の御好意に甘える形で、なんとなんと、実際に会える日がまもなくやって来たのでした!! その劇的な東京での出会いの話は、次の機会に述べさせていただくこととします。
 余談ですが、ここでどうしても一言述べておきたいことがあります。私が主宰していた「クリィミーマミFC」では、望月氏のみならず、会誌制作には多数の業界の方々にも協力していただき、また、そうした方々に多かれ少なかれ何らかの御迷惑もおかけしたように思えます。ここでこの紙面をお借りして、そのお礼並びにお詫びを述べさせていただこうと思います。 高田明美様、伊藤和典様、望月智充様、小〇明〇様、本〇浩〇様‥‥、その節にはどうもお世話になりました。心より感謝しております。また、遠〇麻〇様、小〇明〇様、本〇浩〇様‥‥、当方が未熟なため、何か行き違いでもあって、何らかの御不快な事がもしかしたらあったのかもしれませんが、どうか若気の至りということで、なにとぞお許しのほどお願い申し上げます。当時のことを思い起こし、無茶なことや失礼なことを目一杯やったものだと、自己嫌悪に陥ることが現在でも時々あるくらいなのですから‥‥。                     

連載第二回

∞本文に入る前に  振り返ってみますと、九州大学アニメ研究会に所属していた大学時代から、否、ずっと以前の幼少期から、熱烈なアニメーションのファンであったように思われます。にもかかわらず、「そんなに貴方がこだわるアニメーションの魅力とは何か?」という質問には、未だに明確には答えられないような気がしています。今なら、それなりの回答はできるかもしれませんが、言葉にすればなんだかウソになるような・・・そんな思いが常に付きまとうのです。
 一般的なアニメーションの定義とは何かを調べてみますと、手元にある文献の範囲では、「生命の無いものが、作者の意図によってあたかも生きているように動かされた映画またはその手法」ということになっています。アニメート animateという動詞は、「‥‥に生命を吹き込む、活動させる」といった意味があります。大切なことは、画面の中の登場人物・キャラクターが自分の意志で、その時々の感情や考え方によって、ある個性を持って行動する点です。アニメーション作品を評価する上で、我々の仲間内では、しばしば「キャラが生きている」とか、「死んでいる」とかいった表現を使用します。一枚一枚の絵は2次元の単なる無機質ですが、フィルムに連続してコマ撮りしていくことで、あたかも画面上のキャラクターが生命を持つかの如く、固有の人格・感情を持つかの如く、観客の感覚に訴えかけていくことが重要とされると考えます。まさにそのことこそが、アニメーションの「命」と言えるのではないかと考えています。そうした「命」を吹き込む重要な役割を担っているのが、アニメーターであり望月智充さんのようなアニメ演出家であると思われます。また、こじつけのようですが、そうした貴重な存在である望月智充さんを応援するような、こうしたファンクラブにも何かそれなりの存在理由があるような気がしてなりません。いきなり非常に退屈な話となり、申し訳ありません。ここらで取り留めの無い内容は終 わりにして、望月智充さんとの出会いの話に入ることにします。

3、高田馬場にて
 運命の出会いの時が来ました。望月さんのご好意に甘える形ではありますが、手紙で確実にアポイントメントをとり、周到な準備の後、意気込んで東京方面へ旅立ちました。 そしてついに昭和五十九年九月四日。かねてよりの約束の時間よりかなり早く、私と友人の二人は待ち合わせ場所である山の手線高田馬場駅に到着しました。どうにも治まらない胸の高鳴りを感じつつ、しばし待っていますと、ついに目印の「カッくんカフェ」のTシャツを着た、あこがれの人物がふらりとサンダル履きで現れました。一見そこらの大学生と変わらぬ、ヒゲもじゃで痩せ方のこの人こそが、かの望月智充さんだったのです。一生忘れ得ぬ感激の瞬間!初対面の感動のせいか、この日のその後の一部始終を書こうとしても霞がかかったようになかなか詳細には思い起こせません。たしか、その日は望月さんのアパートに泊めていただき、ポテトチップスをつまみに酒を酌み交わして、適当に床に雑魚寝をしたと思います。膨大な量の蔵書に圧倒され(一部にあやしげな同人誌も見かけたような気がしますが…)た記憶だあります。特にはっきりと覚えているのは、繊細な(?)神経を持っている私は、緊張のあまり、過 敏性大腸症候群によると思われる下痢に苦しんでいたことです。 望月さんはアニメ業界に就職する以前、早稲田大学の学生であった頃は「早稲田大学アニメーション同好会」に所属されていました。ご自身で、同人誌の制作もされていたことは知る人ぞ知る事実です。妙な(?)雑誌にマニアックな原稿を寄せていたとの噂もありますが、真偽の程は定かではありません。 さて、お勤め先の亜細亜堂は埼玉県の浦和にあるのに、どうして高田馬場に住んでいたのか疑問に思われる方もおられると思います。その訳は、ご本人からお聞きしたところによりますと、家賃の高い首都圏で転居するには多額の費用がかかるし、それよりは大学時代より借りて住んでいたアパートにそのまま居住する方が、よほどの家賃値上げが無い限り、ベターであると判断したからだそうです。通勤には時間はかかりますが、なにぶん新米のアニメーターの給料は安いとのことですから・・・。

4、緊張の出会いPART2 in 三鷹
 翌日、九月五日。本日はまたまたドキドキする伊藤和典・高田明美ご夫妻との初対面が待っていました。望月氏のご希望で、その席に氏も同席することとなりました。この時まで、望月氏は実際に伊藤ご夫妻にはお会いしたことがなかったとのことです。
 当時、伊藤ご夫妻は三鷹のマンションの最上階に住んでおられました。それで待ち合わせ場所は、自宅マンションに近い三鷹の珈琲館となりました。もちろん、事前に正式なアポイントメントをとった上でのことです。
 思い起こせば、望月氏との出会い以上に緊張していたような気がします。喫茶店の椅子に座って小一時間程お待ちしたでしょうか、ついに伊藤ご夫妻が来られました。感激の対面に言葉がでない私たちに対して、伊藤さんは「おとなしいんだね。」とおっしゃられたように記憶しています。なんとか打ち解けてきて、しばし雑談しておりますと、望月さんがゆうゆうと遅れて現れました。そのタイミングのよい登場の仕方に、同席していた私の友人は「こういった席でも演出をやっているなあ。」と小声で囁きました(笑)。 喫茶店での楽しい会話の後、短時間ではありますが、伊藤ご夫妻のご自宅におじゃまさせていただけることとなりました。マンションでは、猫のノラも歓迎(?)してくれました。その時の詳細につきましても、なかなか思い起こせませんが、見るモノ聞くモノすべてが新鮮な感激であったような気がします。 楽しい時間はあっという間に過ぎて、お別れの時がきました。我々二人は、名残惜しつつも三鷹を後にしました。ご夫妻はお二人共にたいへん魅力的な方々でして、本当に東京まで出てきた甲斐があったものだと心から実感しました。

5、これがアニメスタジオか!
 九月七日、今度は望月さんが勤務されているアニメーション・スタジオ亜細亜堂の訪問を行いました。埼玉県の浦和の地、埼玉大学の近くに、かのスタジオは存在しました。非常に立派な建物であり、我々のイメージとはいい意味で異なっていました。芝山努氏、小林治氏らがお作りになられた素敵なスタジオの中に、望月さんは確かに存在していました。当時は、「魔法の天使クリィミーマミ・永遠のワンスモア」の制作の真っ最中であり、OPやEDクレジットでしか知り得なかった多数のアニメーターの方々を実際にこの目で見ることができ、大感激でした。また、原画マン、動画マン、演出家の皆様の仕事ぶりを見せていただき、プロの厳しさも実感させられました。お目にかかったアニメーターの方々の中に、望月さんの未来の奥様である、後藤真砂子さんもおられました。我々のあこがれの作監である後藤さんと記念写真を撮りたくて、ぜひにと御願いしましたところ、「そんな写真を撮って、どうするつもりなの!」と怒られたような記憶があります。やはりいきなり写真というのは、女性に対して失礼であったかと、反省することしきりでした。こうしたお恥ずかしい経緯で初めてお会いした 後藤さんと後々、電話口でごく普通にお話できる日が来るとは、当時夢にも思いませんでした。人間の運命とは不思議なものです。 期待と不安の入り交じった東京旅行も、なんとか無事に終了し、帰途につきました。一生の思い出に残る旅であったと思います。しかし、私たちと望月さんのお付き合いは、まだこれから始まったばかりです。これからの接し方等、どのようにしていったらよいかを真剣に考えていたような気がします。実のところ、この東京旅行が終了した時点で、望月智充ファンクラブは、結成されていたと言っても過言ではないと思います。

今回は、ここらで打ち止めにさせていただきます。

連載第三回

六、春爛漫 東方道中記
 *ACT1 悪友からの電話
 昭和六十三年四月、それは名古屋よりの電話から始まりました。四月二十二日の夜、山本哲氏より突然のTEL。「出張で東京に行く事になった。二十八日の夜からフリーになるので、適当な場所で合流しよう。また、できれば伊藤さん・望月さんのお宅へおじゃまさせていただこう・・・。」との内容でした。あまりに急な話であり、ともかく先方のご都合を聞いてみなければと思い、あわてて伊藤和典さん宅へ電話をかけてみました。
 相変わらず、伊藤・高田御夫妻はお忙しいながらも、大変お元気そうでした。しばし雑談の後、今回の用件を切り出しますと、「四月二十九日の午後五時までだったら家にいるから、来ても大丈夫だよ。」とのありがたい御返事をいただきました。 次に、高田馬場の望月智充さん宅へ電話をかけました。相談の結果、望月さんからは「四月二十九日はスタジオぴえろにいる予定だから、午後三〜四時に伊藤さん宅へ電話を入れるよ。どこで会うかはその時に決めることにしよう。」との、またまた嬉しいお返事をいただきました。こうして、すべての段取りが付いた後、山本君とは二十九日の午後二時に中央線武蔵境駅で落ち合うこととしました。
 四月二十九日早朝。小倉発午前六時四十九分のひかり号に乗り込み、いよいよ東京へ出発しました。食堂車で朝食を済ませ、うとうとしているうちに東京駅に到着。いつもながら、東京へ着くと何だか身が引き締まる思いがして緊張します(田舎者の哀しい性でしょうか…)。東京駅から目的地の武蔵境駅までは中央線を利用しました。目的駅に着いたのは、午後一時三十分頃でした。待つことしばし、大きなバッグをかかえて山本君がひょっこりと現れました。久しぶりの再会の挨拶もそこそこにして、いざ、伊藤さん宅へ出発です。徒歩にてお二人の新居(昭和六十三年一月にお引っ越ししたばかりの一戸建て)に到着したのは、午後二時を少し回った頃でした。

*ACT2 伊藤家にての顛末
 玄関のチャイムを鳴らすと、ちょっと間をおいて高田さんが、なんとパジャマ姿で現れました。目覚ましをかけ忘れた為、今の今まで寝ていたとのことでありました(その節はたいへん失礼いたしました…)。予想外の展開にびっくりしましたが、我々二人はとりあえず二階のリビング・ルームに案内されました。しばらくお待ちしていますと、いかにも眠そうな顔をして、高田さんが上がって来られました。まだ十分に目が覚めていないご様子でした。手土産(博多の女&にわか煎餅)をお渡しして、珈琲でもいただきながら、まずはこちらの近況などをお話しました。そうこうしているうちに、伊藤さんがやはり眠そうな顔をして現れました。改めてご挨拶を済ませますと、やおら伊藤さんが「ビデオでも見ようか」と言って、おもむろに一本のビデオ・テープを取り出しました。再生を始めますと、なんとそれは六月二十五日発売予定の、OVA機動警察パトレイバー第二巻「ロングショット」でありました。たちまちその場は、ビデオ観賞会となりました。第一巻に負けず劣らず、二巻目もいい出来具合と感じました。「作画の方もキャラクターに慣れてきて、二巻・三巻と尻上がりに良くなってきて いるから、今後も期待してていいよ」とは、伊藤さんの弁です。伊藤さんの近況をお伺いしますと、現在ファミコン・ソフトのシナリオを執筆中とのことでありました。一方、高田さんは、劇場版「きまぐれオレンジロード・あの日にかえりたい」のキャラクター・デザインの仕事も終了し、やっと一段落といったところでした。伊藤家で有意義な時を過ごしているうちに、我々は重大な問題に直面しつつあることに気付きました。午後四時を過ぎても、望月さんからの電話がかかって来ないのです!やむを得ず、スタジオぴえろに電話を入れさせていただきましたが、まだスタジオには入っていないとのお答えでした。午後五時になり、仕事の打ち合わせにお出かけになるお二人と共に、我々も致し方無くお宅を後にしました。その日の夜は、新宿駅西口近くのビジネスホテルに宿泊しました。そうしてなんとも不安な気持ちを抱きつつ、眠りにつきました。

*ACT3 新大久保駅にて 翌朝起床するとすぐに、おそるおそる望月さん宅へ電話をかけてみました。するとすぐに応答があり、その時点でやっと望月さんをキャッチすることができました。以下、その時の電話の会話の再現です。
 田中「昨日はどうされていたのですか?」
 望月「・・・・・・・・・・。」
 田中「お仕事が忙しかったのですか?」
 望月「いや、そういう訳ではなかったんだが・・・。実は、昨日ピエロに着いてから、
    僕に君達から電話があったということを聞いて、昨日が二十九日であるという
    ことに気付いたんだ。」
 田中「えっ!?どういうことですか?」
 望月「・・・・つまり、君達と二十九日に会う約束をしていたには、もちろん覚えていた
    のだけれど、うっかりしていて、昨日がその二十九日であるということに気付か
    なかったんだ。申し訳ない。
 田中「それじゃあ仕方無いですね。今、新宿のホテルにおりますので、せっかくの機会
    ですから、これからそちらに押しかけてよろしいでしょうか?」
 望月「今は、絵コンテをやっているから・・・。(しばし考えて)それじゃあ、午前十時に
    山手線の新大久保駅の改札口付近で会うことにしよう。」
  …………………………………………………
 こうして、予想外のアクシデントはありましたが、我々は、なんとか望月さんにお会いすることができました。 ほぼ午前10時ちょうどに望月さんは駅前に現れました。相変わらずの風貌でして、けだしお元気そうでした。挨拶も簡単に、望月さんの案内で近くの喫茶店に入りました。モーニング・サービスを注文し、朝食をとりながら、会話が始まりました。以下その時の会話の内容のあらましです。
@「めぞん一刻 完結編」について
 望月監督としては意図的に行ったことではありますが、完結編用にキャラクター・デザインを全面的に変更したことへの反響・不満の声が大きかったとのこと。また、ほとんどのアニメーターが、あのキャラ・デ ザインに似せて原画を描くことができなかったため、 作画監督の森山ゆうじさんが、かなりの部分に大幅な修正を加えているとのこと。ラスト15分間の演出に関しては、監督御自身、まだ満足のいくものとはなっていないとのこと。
 我々としては、望月さんの個性・カラーが強く感じられるこの作品を非常に高く評価していること。
A制作中の劇場版「きまぐれオレンジロード」 について
 三角関係の決着編であり、非常に暗いストーリーであること。劇場版にしては、予算が少ないこと。
Bその他、「源氏物語」「後藤真砂子さんとの結婚の予定」「となりのトトロ」等について話をしています。
 結局、正午近くまで、いろいろな話題について話し込みました。この時の朝食代は、昨日のお詫びということで、望月さんがおごってくれました(〇〇な望月さんにしては珍しいことですが・・・)。名残は尽きませんでしたが、駅前で望月さんと別れた我々は、友人と会うために、上野に向かいました。

7、望月氏の結婚
 失礼な言い方ですが、この世で最も有り得そうにないことが起こりました。半年前に伺っていたこととはいえ、あの方があっさり結婚してしまうなんて・・・本当に意外でした。 漏れ聞こえてきた無責任な噂では、望月さんが後藤さんに惚れ込んで、しきりにアタックをかけたように聞いています。最初はなかなか色良い返事をもらえなかったものの、望月さんの誠意に負けて、交際を深めていったとのことだそうですが、直接ご当人にお聞きしたことがありませんので、実際どうだったのか真相は薮の中です。 まあ、いい加減なことばかり書くのはこれくらいにして、少し確かなことを述べることとします。 お二人の結婚式は、昭和六十三年十一月二十三日に、浅草寺伝法院にて、芝山努ご夫妻のご媒妁のもと、挙げられました。 結婚式はごく小規模に行われたとのことで、私達は残念ながら招待されてはおりませんで、後日、結婚の通知のお葉書をいただきました。早速、ご結婚のお祝いの品として、グリル鍋とビデオテープをプレゼントいたしました。いつまでもお幸せに!

8、夏八月 東京見聞録
 年は改まり、平成元年。思いがけなく夏期休暇が二日間もらえたため、例年の如く東京方面への旅行を思い立ったのは、七月中旬のことでした。 まずは、伊藤・高田ご夫妻のご都合をお聞きしてみました。すると、なんと「機動警察パトレイバー」の秋からのTVアニメ化が急遽決定したとのことであり、そのため伊藤家はパニック状態に突入していました。特に脚本家の伊藤さんは超多忙状態であり、今回は伊藤家訪問は断念することとしました。その代わりといってはなんですが、どうにか高田明美さんとだけは、八月七日にお会いできることとなりました。高田さんには以前から同人誌の制作等でたいへんお世話になっておりまして、いつもご好意に甘えてばかりいるようで、何となく心苦しい思いがいたしました。
 次に、(電話をかけた時点では)TVアニメ「らんま1/2 」のシリーズ・ディレクターを担当されていた望月さんの新居に電話をかけてみました。ご結婚後、ご夫妻は埼玉県に新居を構えておられました。最初に電話口にでられたのは、奥様の眞砂子(旧姓;後藤)さんでした。「福岡の田中と申します。」と言いますと、奥様は「いつもお世話になっています・・・。」といったニュアンスの言葉をしゃべられたようでした。以前、ご結婚祝いの品物をお送りしてはいましたが、いつも何かとお世話になっているのはこちらの方ですので、恐縮しつつご主人を電話口まで呼んでいただきました。相談の結果、望月さんとは八月六日にお会いすることとなりました。
 平成元年八月五日、午前中に手っとり早く仕事を済ませ、博多発午後零時四十九分のひかり号に乗り込みました。約六時間三十分間の退屈な時間を経て東京駅に着いたのが、午後七時二十分でした。出迎えに来ていた友人と共に、新宿に向かい、ビジネスホテルにチェックイン。近所の豚カツ屋で夕食を済ました後、「まんがの森」新宿店にちょっと立ち寄ってみました。八月十三・十四日の晴海のコミケが間近なため、そのカタログが天井近くにまで山積みされており、そのあまりの量に圧倒されました。 夜、ホテルに戻ると、早速明日の打ち合わせのため、望月さん宅に電話をいれました。望月さん曰く「池袋駅の○口にいけふくろうという待ち合わせ場所があるから、そこで夜八時に会うこととしよう。」とのことでした。いけふくろうとは、どんな場所を指しているのかわかりませんでしたが、ともかく行けばわかるとのことでしたので、やや不安を残しつつもその日は眠りました。
 一夜明けて八月六日。折しも関東に上陸した中心最大風速四十mの大型台風のため、朝から土砂降りの雨でした。一人で都内を適当にうろついていましたが、吉祥寺に着いた時点でいよいよ雨が激しくなり、仕方無く近くの映画館に入ることにしました。そこで、以前から試しに一度見てみようと思っていた「ガン・ヘッド」を観賞することとしました。カットつなぎや、状況を説明する描写の不備や舌足らずな点がしばしば気にはなりましたが、単なるSFX娯楽映画としてみれば、けっこう楽しめる作品であると思いました。 夜六時に友人と合流し、池袋に向かいました。○口辺りを探しましたが、望月さんの言われたいけふくろうなる待ち合わせ場所は見つかりませんでした。約束の時間が迫った来たため、売店のおじさんに聞いてみましたところ、「ああ、そこでしたらX口ですよ・・・。」との返事。ありゃあ、望月さんに謀られたのか?こりゃ大変だ!と、あわててX口方向へ急行しました。ふくろうの石像が設置してある待ち合わせ場所、いけふくろうなる地点はすぐわかりました。待つことしばし、我々のちょっとした直前の騒動はもちろんご存じないまま、望月さんが悠々といらっしゃい ました。 近くのレストランに入り、まずは久しぶりの再会を喜び合いました。以下はその話の内容のあらましです。
 @諸事情により、望月さんを含め、亜細亜堂が、TV アニメ「らんま1/2」の制作から手を引いてしまったとのこと。十月の番組改編期で主だったスタッフが 総入れ替えとなり、総監督も変更となること。スタッ フの変動に伴って、せっかく制作した三本の作品が残 念ながら未放映のままお蔵入りになってしまいそうであること。(幸い、後に放映とはなりました)
 A現在、ビデオアニメ「暗黒神話」(原作 諸星大二郎)の前後編二本のうちの一本の制作に携わっていること。制作準備のための現地ロケのこと。
 B三年間のペーパードライバーの末、やっと新車を購入したとのこと。毎日通勤に使用しているが、安全の為、若葉マークをつけて運転しているとのこと。
 Cスケジュールの調整がつけば、ことしの大学祭には 奥様と共々、ゲストとして、来校していただけるかも しれないということ。 話は夜遅くまで続きました。結局、埼玉県の愛妻の待つお宅まで無事に送り届けるため、私の友人が望月さんをご自宅まで彼の車でお送りすることとなりました。
 八月七日月曜日。新宿の待ち合わせ場所には、午後二時少し前に到着しました。しばらくお待ちしていますと、ひょっこりと高田さんが現れました。今日は、高田さんは他のお友達ともこの場所で待ち合わせしているとのことであり、更に待つことしばし、高田さんの友人、横手さんがやって来ました。 横手さんとは、実は新人の女性脚本家でした。後の話の内容から察すると、どうも伊藤さんのお弟子さんのようでした。郷里は和歌山県とのことで、今度のTVアニメ「パトレイバー」で、シナリオライターとしてデビューすることとなったとのことでした。いかにも今時の都会のキャリアウーマンといった出で立ちであり、活発そうなうら若き女性でした。
 近くのビルのレストランに入り、注文を済ませると、会話が始まりました。話の内容は主に、「パトレイバー」に関するものでした。高田さん曰く「脚本と演出については、安心していていいと思いますよ・・・。」とのことでありました。押井守さんが脚本家として、何作かに一作の割合で参加するとのことでした。気になるチーフディレクターは吉永尚之氏に決定したとのことでありました。短い時間ではありましたが、楽しくお話とお食事をさせていただきました。名残は尽きませんでしたが、お土産の品々を手渡して、高田さんたちとお別れしました。 その後、すぐに新宿駅から東京駅へと向かい、午後五時八分発の新幹線に乗り込みました。大変疲れはしましたが、なんとも有意義な充実した旅行でした。

 (注)この原稿は一応事実をもとに構成されてはいますが、一部に脚色をほどこしてあり、あまり内容を鵜呑みにしないようにして下さい。あくまでフィクションとして、お読みいただくようお願いいたします。

連載第四回

9、望月ご夫妻来福!
 *ACT1 ついに、時節到来
 前号でも述べましたように、一九八九年(平成元年)八月六日に、池袋において、私達は、望月さんとお会いし、一緒に食事をすることができました。その時の会話の中で、かねてより我々が希望し、出来ることなら実現させたいと常々願ってきた、望月智充さん、そして今はその奥様である後藤真砂子さんの福岡への招待が、俄然現実味を帯びてきました。相談の結果、望月ご夫妻のスケジュールの調整がつけば、ことしの十一月の大学祭には、ゲストとして九州大学のキャンパスに来校していただけるということになりました。
 さて、相談が一応まとまって、福岡へ戻ってからが、何かと大忙しでした。というのも、実際問題として、望月ご夫妻の受け入れ準備体制が何も整っていなかったものですから・・・。私は既に社会人となっており、元会長とはいえ、当時は九大アニメ研OB会の一メンバーという立場にしかすぎませんでした。従って、こうしたイベントを大学祭の行事として行うためには、手続きとして、まず大学のアニメ研の現会長及び現役会員達の大多数の賛同を得なければなりませんでした。そうした段取りを踏まなければならないとはわかっていても、八月は夏休み期間中であり、のんびり待っていると、実際のそうした相談・会議等は、九月のテスト期間終了後ということになってしまいます。ぼやぼやしていると、すぐ十月になってしまいます。それで、現役会員の主なメンバーには、夏休み中でしたが、個別に連絡をとらせていただき、まずはとりあえず、イベント開催の承諾を得ることにしました。現役会員の了解を得るにあたって、今回のご夫妻の招待・大学祭でのイベント等に関しては、その一切の費用をOB会で負担することとしました。以前から実現を企てていて、現役会員にもその旨機会あるご とにそれとなく伝えてはいましたが、こちら側から言い出した企画であり、概して貧乏な(?)現役会員には金銭的な負担を負わせるわけにはいかず、もっぱら人的な貢献・労力の負担をお願いすることとなりました。

 *ACT2 九大祭でのイベント準備
 夏休みが明けると、以後、数回の綿密な(?)打ち合わせが行われました。その結果、望月ご夫妻をお招きして開催するイベントの日時は、十一月十九日午後一時〜三時とし、またそのイベントのタイトルは、次の様に決定いたしました。

九州大学アニメーション研究会発足十周年特別企画 『望月智充さん、後藤真砂子さん、両氏を囲んでの懇談会』

 そうこうしているうちに、望月さんより、「スケジュールの都合がつきそうなので、来福OK!」との嬉しい連絡があり、イベント開催が本決まりとなり、以来、さらに気を引き締めて、イベント開催の準備が進行していくこととなりました。望月ご夫妻の福岡への到着は、イベント前日の十一月十八日(土)の夕刻ということになりました。早速、航空券や宿泊先のホテルの予約等を行いました。ホテルは、最近できたてほやほやのソラリアホテルで、ツインルームとしました(まだ新婚さんであり、ダブルの部屋の方がいいのではないか…という無責任な声もありましたが)。オープン・キャンペーン期間中の為か、比較的、宿泊料金も手頃だったように記憶しています。
 具体的な望月さんとの相談の中で、「恥ずかしいので、あまり派手なイベントにはしてくれるな…」、という内容のご要望が寄せられました。こちらとしても、ゆっくりと博多の町を満喫していただき、楽しいひとときを過ごしていただければよいのではないのかなあ・・・といったくらいに、軽い気持ちで考えておりましたので、できるだけ大袈裟にはならないように心がけました。もっとも、正式決定した時点では、すでにアニメ誌にイベント開催のCMの掲載依頼をするような日程的な余裕は、まったくありませんでした。ただ、タウン情報誌「ふくおか」一誌のみには、欄外広告として、イベント開催情報を特別に掲載していただけることとなりました。イベント用のパンフレットも印刷所に発注し、慌ただしく準備がすすめられていきました。

 *ACT3 福岡空港にてのお出迎え
 ついにご夫妻が福岡にやってくる当日、十一月十八日がやってまいりました。当時、飯塚の病院に勤務していた私は、診療をできるだけ手短に終えた後、有料道路を通って、取り急ぎ自宅へ戻りました。時計を気にしつつも、お出迎えに失礼があってはならないと思い、すぐお風呂に入り、クリーニングしたての背広に着替えました。そして、この日のために洗車しておいた愛車に乗り、空港まで向かいました。途中、道はあまり混んでおらず、二十分程で、空港へ到着。車を駐車場に止め、東京よりの旅客到着の出口でお二人をお待ちしました。待つこと三十分。ついに、ご夫妻が乗っておられるはずの飛行機が到着しました。
 ところが、いつまで待っていても、お二人は到着出口から現れないのです。いきなりの予想外のアクシデントか!これには正直言って困惑しました。望月さんのご自宅に連絡してもお留守ですし、きっと予定の便に乗り遅れ、次の便に乗られたのに違いないとは思いつつも、なんとも不安な面持ちで、さらに三十分程じっと待ちました。
 次の東京よりの便が到着し、今度こそと、しばらく到着出口で待ち受けておりますと、ついに、ご夫妻が現れました。やれやれと、ほっとするとともに、到着が遅れたのも、何かの演出かなあ…とまで、思わずちらっと勘ぐってしまいました。
 お二人を駐車場にご案内し、空港から宿泊予定のホテルへと車を走らせました。運転中、イベントの責任者として、これからの自分の肩にかかる責任の重大さを考えると、身が引き締まる思いがしました。
 ほどなく、車は福岡市のど真ん中・天神にある、ソラリアプラザホテルに到着しました。すぐにチェック・インの手続きをとっていただき、その後、ささやかながら、ごく内々のメンバーで歓迎の夕食会を開き、その席で明日のイベントに関しまして、簡単な打ち合わせを行いました。こうして博多での第一夜は過ぎてゆきました。

*ACT4 イベント当日の顛末
 待ちに待った当日の朝がやってきました。午前十時、私はイベントスタッフを代表して、ホテルにまでお二人を迎えに参りました。朝のご挨拶もそこそこに、九州大学の教養部キャンパスまで、タクシーで向かいました。天神から中央区六本松の大学祭会場までは、車で十五〜二十分程の距離です。
 到着後、まずは会場である第二十二番教室に入りました。教室にはアニメ研究会の現役会員たちが既に多数来ており、イベントの開催準備に余念がありませんでした。まずは、お二人を現役会員たちやOBたちに紹介しました。イベント開始時間までの間、ご夫妻には九大キャンパスを自由に見学していただくこととしました。
 いよいよイベント開始の時刻がやって参りました。狭い教室ではありますが、教室には立ち見客もでるほどのお客さんが集まっていました。私は司会進行役として僭越ながら、望月さん・後藤さんと一緒に壇上に陣取りました。
 イベントの進行の仕方としましては、まず、お二人が以前に制作に携わられた作品を集めた特別編集版のビデオ・テープを上映し、次に、それらに関して、なにがしかのコメントをいただくという形式にいたしました。
 以後は、望月さん・後藤さんの発言内容のだいたいのあらましです。お二人ともコメントは控えめでした。
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@「魔法の天使クリィミーマミ」TVシリーズ
 望月「演出を始めて一年目ぐらいの作品だから…。」
 後藤「スケジュールがぎりぎりで、とにかく毎日が締め切りとの戦いでした。」
A「魔法の天使クリィミーマミ・永遠のワンスモア」
 「ロング・グッドバイ」「マミ対モモ 劇場の対決」
 望月「おまけとして制作したマミ対モモ劇場の対決に関しては、当初、他の演出家に
    絵コンテを依頼しておりました。ところがその出来が客観的にみて、あまりにつま
    らなかった為、自分自身で演出することになってしまいました。決して最初から
    自分でやりたくてやったわけではありません。」
B「うる星やつら」TVシリーズ
一七二話「友情パニック!わいはフグがすきやねん」
一七七話「謎の坊さん出現!鐘つきバトルロイヤル」
 望月「(一七七話に登場の異常に長い石段について質問を受け)石段の長さは350m…
   というのは冗談(笑)。」
 望月「(一七七話。話題になった亜美ちゃん風のキャラについて)あの妹の登場はシナ
    リオにちゃんとありまして、もちろん高田明美さんのキャラ・デザインです。決して
    演出段階で自分がねつ造したキャラクターではありません。」 
C「光の伝説」
◆望月さんが総監督として、竜の子プロに出向して制作したTVシリーズ作品で、シリーズ途中で打ち切りの憂き目にあってしまいました。
 望月「出向だから特に苦労したという訳ではないが…」
 司会「あまり触れられたくない作品のようですので、次へ参りましょう(笑)。」
D「きまぐれオレンジロード」TVシリーズ
 後藤「(総作画監督の仕事について質問され)確かに各話ごとに作画監督はいますが、
    各話作監まかせでは、各話ごとに、絵にばらつきが生じてしまいます。それで、
    全体的なキャラクターの統一を計る仕事として、総作画監督が必要になるのです。」
 望月「オープニング、エンディングに関しては、斬新な変わったものにして欲しいとの
    上からの要望がありました。砂のアニメーションを用いたエンディングは、撮影所に
    こもって短期集中的に撮影を行いました。
    全面動画のオープニング3(鏡の中のアクトレス)がもっとも制作には苦労しました。
    実は、絵コンテ段階では、まだ曲が未完成の状態でした。それで時間調節用に、
    所々静止している部分を予め撮影フィルム上に作成しておいて、後に曲が完成した
    段階で、曲のタイミングに合わせて、フィルムを必要に応じてカッティングして仕上げ
    ていきました。
E「らんま12」第一シリーズ
 望月「総監督として芝山努氏の名前がオープニングにでてはいましたが、実質はシリーズ
    ディレクターとして、自分が現場でのアニメ制作の総責任者としての仕事を行って
    いました。」
 後藤「当時、遠藤麻未さん、中嶋敦子さんといっしょに、三人机を並べて作監作業を
    行っていました。
    みんな出来るだけキャラクター・デザインに似せようと努力していました。
   (望月さんが絵コンテ・演出を担当した回の作画監督をする機会が、なかったのは
    なぜですか?との質問に)
    それは、たまたまそうなっただけで、故意にいっしょにやらなかったという訳では
    ありません。そういえば、唯一いっしょに制作した一本が現時点で未放映となって
    います。」
F「めぞん一刻 完結編」
 望月「自分としては、あえて意図してやったことではありますが、森山さんのキャラクター
    ・デザインに関しまして、違和感を感じる方が多かったようです。・・(中略)・・
    映画の予告編はおもしろい仕上がりになっています。特にホラー映画のバージョン。」
G「きまぐれオレンジロード あの日にかえりたい」
 望月「(恋愛関係の決着編として、いろいろ賛否両論、論争を巻き起こしたようですが…
    との質問に)実は、当初この映画でオレンジロードのアニメ制作を最後にするという
    ことでした。それで、決着編といえる内容のストーリーとなりました。だから、その後
    に方針が変更となり、現在も尚、オレンジロードのOVAが制作されている現状に
    困惑しています。 ・・(中略)・・
    エンディングの曲に限らず、オレンジロードの曲はとても気に入っています。」
 後藤「もちろん、その当時は一生懸命描いているのですが、昔の(自分の)絵は見ていられ
    ないんです。」
H会場内からの質問コーナーにて
 質問「カメラアングルといい、人物の配置の仕方といい、画面に奥行きを感じさせるレイアウト
    を、多用しているように思えるのです。」
 望月「なんだか寂しい画面にはしたくないと、常々思っています。
    ただ、何かの物まねだと言われるような演出はしたくありません。特に、自分が観ても
    いない映画に似ていると言われたりすると不愉快ですね。」
 質問「絵コンテを切るばあい、予めそのカットを担当するアニメーターを指名・選択することは
    できるのでしょうか?」
 望月「それは、ケース・バイ・ケースです。前もって、原画担当者の予定がたっている時は、
    それ(担当アニメーターの力量)を考えてコンテを切ります。一方、誰がやるかわから
    ない時は、つらいですね。」
 質問「今後、ご自分でキャラクター・デザインしたりして、オリジナルのアニメ作品を制作する
    といったような夢・計画はありませんか。それと、これからのお仕事の予定を教えて下さい。」
 後藤「自分自身、うまいとは思っていませんので、特にそういったオリジナル作品の予定は
    ありません。
    今後の予定としては、オレンジロードのOVAとちびまる子ちゃんを担当することに
    なっています。」
 望月「現在は暗黒神話を制作中です。藤子さんのSF短編シアターの制作の予定もあり、
    その忙しい最中にこんな所まで出てきました(笑)。」
 質問「後藤真砂子さんのファンです。後藤さんの作画は、髪の毛がサラサラに描かれていた
    りして、とてもていねいで素敵です。ストッキングのしわまできちんと描かれていることも
    ありますね。」
 後藤「ストッキングのしわのレベルに関しては、原画さんの技量によると思います。どこまで
    できるかは、とにかく制作のスケジュールが左右するんです。」 
 望月「絵コンテのみでは、完璧には指示できないので、自分の予想以上にやってくれる
    原画の方がいると、嬉しいですね。」
 質問「アニメーションのプロになるにあたっては、大変な決断と勇気を要したのではないかと
    思うのですが…。アニメ・スタジオに入社されたきっかけは?」
 後藤「当時、アニメ科はありませんでした。アニメ・スタジオに入社後、アニメ業界の内部事情
    を知って、これはしまったと思いました(笑)。予めアニメ雑誌等でアニメーターの生活を
    知っていたら、おそらくこの業界へは入っていなかっただろうと思います・・・・。
    芝山努さん・小林治さんらが亜細亜堂を設立した際、いっしょにスタジオを移り、設立メン
    バーの一人となりました。」
 望月「亜細亜堂に入社するにあたっては、特別の決断や勇気はいりませんでした。大学時代
    からアニメのサークル活動・同人活動等を行っており、普通のサラリーマンになる気は
    毛頭ありませんでした。なんとかアニメ業界関係に潜り込めればと思っていました。」
 質問「望月さんの演出の特徴として、日常生活の描写に対するこだわりがあるのではない
    ですか。例えば、食事のシーンや、お風呂のシーン、日常会話のシーン等々。」
 望月「まるっきりの異世界のお話であれば、異世界であるが故に、何をやっても許されて
    しまうということがあります。そんな中で納得できる演技をさせることは、自分には難し
    いように思われます。それよりも、日常生活のごく普通のことをやってる方が、それが
    うまくいった時の喜びが大きいのです。例えば、物を食べるシーンしかり、入浴シーン
    しかりです。ただし、お決まりのシャワーシーン…足下からのPAN・UP…のようなパタ
    ーン化してしまったような演出はやりたくありません。
    また、会話を通して状況説明をしないといけないようなシーンにおいて、キャラクター達が
    直立不動で会話をするのでは、面白味に欠け、寂しい限りですよね。」

 質疑応答も終わり、最後に、我々から望月さん・後藤さんへ、花束と記念品の贈呈を行いました。
 懇談会は、予定時間をやや超過し、午後三時二十分頃になんとか無事に終了しました。

 その夜、ゲストのお二人と共に我々は、親不孝通りの長浜「村さ来」(大衆居酒屋)にて、打ち上げを行いました。けっこう盛り上がりまして、久しぶりに心地よい飲み会となりました。現役会員の皆さんにも喜んでいただけたようで、本当に苦労してイベントを開催した甲斐がありました。また、快く福岡へ来ていただいたご夫妻には、感謝感謝です。二次会の場所は、バニーさんのいる「ザ・ロイヤル中洲店」でした。飲み会も終了。すっかり夜も更けてしまいました。お疲れ気味のお二人を、ホテルまで無事送り届けました。

*ACT5 博多にての最終日−観光−
 本日は朝からちょっとした観光旅行に出かけることにしていました。参加メンバーの集合場所は、私のアパートでした。ご夫妻を含め、ほぼ全員が集合した頃、会員の中池くんが、レンタカーのワゴン車を借りてきました。狭いアパートの中で記念撮影をした後、いざ旅行に出発です。目的地は、海の中道海浜公園です。車は一時間もかからずに、博多の観光名所である海浜公園へと到着しました。公園内を散策した後、敷地内にある水族館・マリンワールドに入場しました。様々な珍しい魚たちや、巨大な水槽、さらにはイルカやアシカのショーをみんなで楽しみました。
 愉快な時間はあっという間に経過し、ご夫妻をいよいよ福岡空港へとお送りしなければならない刻限となりました。乗ってきたワゴン車で、今度は博多区板付の空港へと向かいました。空港に到着。
 名残は尽きませんでしたが、空港のロビーで望月ご夫妻とお別れしました。
 こうして、私にとっては、まさに炎の三日間が終了したのです。               

 今回はここらで打ち止めにさせていただきたく思います。次回は(もしあるとすれば…)、望月智充FC結成秘話等を予定しております。

(注)この原稿は一応事実をもとに構成されてはいますが、一部に脚色をほどこしてあり、あまり内容を鵜呑みにしないようにして下さい。あくまでフィクションとして、お読みいただくようお願いいたします。


連載第5回〜第8回は次ページ

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